郷土料理ものがたり紀行 福井編
日本料理の味の決め手になるのは、下味となる出汁と言っても過言ではないでしょう。日本は東西で出汁の文化が違い、東日本は鰹節が中心ですが、西日本は昆布を中心に据えています。和食の中心地でもある京都から福井は古来より物流のルートが存在し、昆布もまた、北海道から福井の港に降り立ち、京都へと運ばれていました。
福井県にはそれぞれ海運の港がありますが、とりわけ敦賀港は北海道との物資の流通を担った北前船の拠点として非常に栄えていました。昆布を扱う業者も数多くあり、現在でも人口6万人の町でありながら、昆布業者が40軒もひしめいているほど。敦賀はまさに昆布王国なのです。
創業明治6年、昆布業者の老舗『奥井海生堂』の奥井隆社長は、昆布と仏教文化の強い結びつきを説きます。「お寺というのは当時日本における最新の情報発信基地でもありました。永平寺が福井にできたというのは、今でいう六本木ヒルズが山の中にできたようなもの。そのお膝元である福井に文化が派生しても何ら不思議ではありません。さらに北陸は京都から山をいくつも越えてたどり着く場所ですから、京都の影響よりも独自で文化が形成されていった面があります」。こちらの昆布は明治期より永平寺御用達として昆布を納品しています。
ちなみに、昆布が生息するのは日本では北海道と北東北のみ。それも潮の流れが緩慢で日の光が差し込むような場所。限られた場所でしか育たないため、そしてうま味が他のどの食材よりも上品であるため、非常に貴重な食材です。かつては税金の代わりに納品されたり、金10gに対して昆布10gという取り引きもされたりしたこともあったそうです。
また“優しい食材”であることも珍重される要因の一つです。昆布には捨てるところがまったくないほど、全部食べられます。不要物が出ないために環境にも優しい食材なのです。そして中国ではヨード不足のときの薬として服用されたように、体にも優しい食材。さらに、うま味成分だけで構成されながらカロリーも低い。もう“すべて良し”のパーフェクト食材、それが昆布なのです。
奥井さんは昆布と日本人についてこう語ります。「海の中で偶然発見された名も無き海草が、時を経て日本料理の味覚の中心に位置するという事実。海洋国家ならではの発想でもありますし、日本人のいさぎよさ、美学を感じます」。
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