郷土料理ものがたり紀行 宮崎編
物産センターからさらに山深い森の道を走ること1時間。つづら折りの坂道を登った先にある「民宿 焼畑」が、この地で日本唯一の伝統的焼畑農法を実践している椎葉クニ子さんの家です。
焼畑は元々日本各地でも行われていた原始的な農法の一つで、草木が焼けた灰を肥料として生かした自然農法。現在、作業はクニ子さんから長男の勝(まさる)さんに受け継がれていますが、「焼畑は山の斜面を焼いたのち1年目には蕎麦、2年目にヒエやアワ、3年目に小豆、4年目に大豆と4年間作物を作り続け、その後は30年ほど放置」。すなわち自然に還すことで山を若返らせるのが基本です。また火を放つ際には、山の神様や生き物たちに祈りと唱えごとを捧げ、焼畑で採れた穀物や、その周囲に芽吹く山菜などを使った料理に感謝しながらいただく。この地で連綿と受け継がれてきた農法は、まさに自然の恵みを受けた食の原点そのものでもあります。また、そういったクニ子さんの言う「適地適作」という食材の背景が、椎葉の郷土料理「わくどう汁」にも表れています。
椎葉村の方言で「わくどう」とはカエルの事。「蕎麦粉をお湯で練って団子にしたものを、イリコの出汁に、椎茸やゴボウを入れ、味噌仕立てにした汁の中に入れると、中でピョンピョン跳ねる。まるでカエルが池を泳ぐのに似ているから、そう言うったい」とクニ子さん。南国とはいえ山間のため日照時間も短く冬には雪も積もる椎葉。種を蒔いてから“75日目の夕食に間に合う”と言われるほど収穫までの日数が短い蕎麦は貴重な食材でもあったそうだ。「このへんの土地は日添(ひぞえ)と言って日が充分に当たる場所も少なくて小麦なんか作れなかった。それに戦後の昭和20年代なんかは何もない時代。大家族を支えるためには蕎麦粉を使った料理ぐらいしか無かったんですよ」とクニ子さん。山の厳しい環境と限られた食材の中から生まれたとはいえ、その地ならではの生活を支えてきた「わくどう汁」は今も椎葉村の郷土料理として地元の人々に親しまれている“おふくろの味”なのです。
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